グローバル・シティズンシップのクラスを終えて
本日、6週間の超短期集中!夏だ!グローバル・シティズンシップクラス!を終了(歓喜)。正確には「Global Education, Citizenship, and Cross-Cultural Conceptions of Teaching and Learning」という授業で、ざっくり言うと、この高度にグローバル化する社会における教育者に必要な視点・知識・コンピテンシーとはなんぞや!そしてやっぱり、教育における社会正義とはなんぞやー!という授業です。2020年9月のプログラム開始以来、早くも5つ目の授業。前学期の「カリキュラム理論」と同じ教授だったこともあり「少しは要領はつかめてきたかな?」なんて淡い希望とともに始めたものの・・・いやはや。きつかった。通常4ヶ月分の分量をぎゅっと凝縮し実質1ヶ月でやるので毎日追われている感が半端じゃない。何より、内容が重ーーーーい。つらーい。世の中のダークな部分を思いっきり突きつけられ続けた感じで精神的にしんどかったです。最後は半分鬱になりながら、なんとか走りきった、いや気づけば勝手に終わっていました。 ここBC州でもワクチンの普及とともにコロナの人数も落ち着いてきたものの、依然、授業はオンライン。非同期型でのリーディング・課題・ディスカッション投稿を勧めながら、4回の同期型セッションで全体ディスカッションやグループ課題の発表時間が設けられました。私の所属するUBC Okanagan School of Education は、学生の多くが地元の教員だったりフルタイムの仕事をしながら学位を目指している人たちなので、修士プログラムに占めるオンライン授業の割合は高めです。柔軟で便利、着替えや通学を考えると正直めっちゃ楽な反面、やっぱり対面でのライブ感も恋しいところ。かれこれ1年近くZoomもしているのに、未だ発言のタイミングをつかめず事故るし・・・。かと言って対面でネイティブ同士の会話が盛り上がっちゃうともっと入りづらくなるので、Zoomの良さもあるのかな。いづれにしても、英語もっとちゃんとしゃべりたいーよ。 話を戻して、授業内容について。比較的導入的な授業ということもあって扱われるトピックは広範囲に渡りました。1948年の国連人権宣言(UNDHR)から始まり、SDGs、越境する人々(global migration)、貧困(poverty)、南北問題(North/South Divide)、子どもの権利(Converntion on the Rigths of the Child)、児童労働(child labour)、消費主義(consumarism)、環境問題、世界の不平等と根深い搾取構造・・。そして、大英帝国時代の植民地支配への反省と脱植民地化への取り組み(decolonization)、先住民族(indeginous people)との和解(reconciliation)、教育における脱植民地化(decolonizing education)について。これらのトピックは今最もホット!というか、現在カナダはじめ植民地支配の歴史を持つ他の国々が必死で取り組んでいる壮大なテーマかと思われます。大学の授業から職場でのトレーニングまで、何度も何度も繰り返し扱われる重要なトピックなので、また改めて詳しく書きたいと思います。 特に後半には、ここケロウナからほど遠くないKamloopsという街で、19世紀から20世紀まで先住民同化政策の中心を担ってきた旧レジデンシャル・スクールの地下から215人の児童の亡骸が発見されたこと、また、オンタリオ州のロンドンという街でイスラム系の家族の命がヘイトクライムにより奪われるなど、カナダの社会や多文化主義の暗部をつきつけるような惨劇が立て続けに起きたこともあり・・授業で扱われる多くの社会問題と相まり心に重くのしかかるりました。さらに、私自身もクラス内で圧倒的マイノリティのため、共有言語・共有認識・共有体験の圧倒的不足感を感じることも多く、なかなか思いを伝えられない・伝わらないもどかしさも多く、思考を整理し伝えることがどんどん難しく、社会問題も大きすぎて手が届かなくなる感覚でした。とはいえ暗い歴史への反省と既存の不平等な社会構造や権力体制から直視し見直し議論を続けていこうとする高等教育の覚悟の姿勢と、少しずつ変化を起こそうと学びを続ける現職教員たちの姿にも感じるところがありました。 今回のコース中、個人の課題で扱ったテーマは「カリキュラムにおける多文化主義:継承語(heritage...